
パーソナリティーを務める早朝のラジオ番組「生島ヒロシのおはよう定食・おはよう一線」(TBSラジオ/月〜金5時〜6時30分)の生放送を終えて帰宅後、さくらちゃんを連れて家の近所を散歩するのが日課という生島ヒロシさん。高齢の愛犬を気づかいながら、ゆっくりのんびり歩を進めます。「老いて世話がかかるようになったけれど、ちっとも負担にならないんです」という言葉に、さくらちゃんとともに過ごした17年間の重みが感じられます。
――さくらちゃんを飼い始めたきっかけは?
僕のカミさんが動物好きで、新婚当時から猫は飼っていたんです。息子が生まれてからはハムスターも飼ったりしましたが、それぞれに寿命がきて、わが家に1匹も動物がいなくなりました。年子の息子ふたりが小学生だったころです。このとき次男が「何か飼いたい」と言い出しましてね。動物のいる暮らしに慣れていたので、いないと寂しかったのでしょう。今度飼うなら犬がいいと言うので、家族会議の結果、賢く、短毛でトリミングの世話が少なそうな柴犬を飼うことになりました。
桜の咲く季節にブリーダーから引き取った雌犬は、「さくら」と名付けました。実は、僕は気仙沼の飲食店の家に生まれ育ったため、生き物を飼うことは御法度で、犬も猫も得意ではありませんでした。でも、さくらは、生島家の主人が誰なのかちゃんとわかるいい子で(笑)、飼うと言い出した次男よりも、誰よりも僕になついてくれました。彼女は現在17歳、人間でいえば80歳過ぎの老齢期を迎えています。
――さくらちゃんは、昨年、大きな病気に見舞われてしまったそうですね。
脳梗塞でした。幸い入院・治療の甲斐あって持ちこたえましたが、さくらの老いをあらためて意識しました。最近は白内障が進み、気をつけてやらないと柱や壁にぶつかって歩くような状態です。丈夫だった胃腸も弱ってきて、ドッグフードの他、ヘルシーな野菜や鶏肉などを食べさせています。
また、意外に効いているのが、ビール酵母でできた胃腸薬と、アフリカの飢餓を救う栄養源として昨今注目されている栄養補助食品です。どちらも人間用のサプリメントですが、自然由来のせいか、嫌がらず食べてくれます。摂取し始めてから体調が上向き、嘔吐の回数も減りました。僕が担当しているラジオ番組では、健康にまつわる話題も多く扱います。そこで仕入れた知識の応用が、さくらの健康回復に一役買ったようです。
──老犬介護の秘訣は?
介護においてはカミさんがお手本で、生来弱っている者を放っておけない彼女は、以前飼っていた猫が病気になり、目ヤニがひどくなったり体臭がきつくなっても愛情をかけて面倒を見ました。ただ、さくらとの親密さにかけてはカミさん以上を自負していまして、散歩も僕が担当しています。朝が早いのでカミさんとは寝室が別なのですが、さくらとは寝起きもともにしています。
最近のさくらは、夜中の徘徊や震えが目立ち、そういうときはしっかり抱きしめてやり、やさしく触れて“手当て”してやると、落ち着いてくれます。朝5時〜6時半までラジオの生放送を行い、帰宅後、散歩に出かけます。本当は帰ってすぐに布団に入ったほうがしっかり仮眠できるので、自分の体のことを考えるとそうしたほうがいいのですが、以前、僕の尿酸値が高くなったとき、さくらと毎日散歩するうちに数値が下がったんです。その恩返しのためにも、今はさくらの生活ペースを優先しています。昔のような長時間の散歩は難しく、近所をひと回りする程度なので「こさんぽ」と言っています(笑)。
──さくらちゃんが日々の暮らしにもたらしてくれるものとは?
やはり、癒されるというのが一番です。動物との触れ合いによって精神的な健康を回復させるアニマルセラピーという療法がありますが、とても共感できます。 僕は3年ほど前、仕事面で大きな試練にぶつかりました。リーマンショック以降、講演の数が減り、ラジオ番組のスポンサーが一部離れたんです。必死に打開策を探り、結果的には以前以上に支援者やスポンサーがついてくれましたが、会社を経営し、家庭を持つ責任ある身として、ストレスを抱える日々が半年間続きました。そんな僕が家に帰ると、さくらはすぐにやって来て、ピタッと寄り添ってくれました。それだけで心が安らいで、「よしっ、明日もがんばろう!」という気になれました。
──さくらちゃんの病気や老いを通して考えさせられたこととは?
さくらの老いは、僕自身の老いと死を見つめるきっかけとなりました。老いに備えないといけない、悔いのない死を迎えたいと。そんなことを考え始めたときに起こったのが、3月11日の東日本大震災です。郷里の気仙沼をはじめ、広範囲の土地が被災し、多くの人がかけがえのない肉親を失いました。多くのペットも被災しました。カミさんは、主人を失った犬や猫が瓦礫の中をさまよっている映像をテレビのニュースで見るたび、涙を流していました。これほどまでに残酷なことがあるのかと、ただただ無念でした。そして、「おまえたちはこれからどう生きるんだ」と、喉元に匕首をつきつけられたような気がしました。
日本は、戦後めざましい経済発展を遂げ、豊かさを享受してきました。水や電気もあたりまえのように安定供給され、海外を訪れるたび、日本はなんていい国なんだと思ったものでした。しかし、大事なインフラがことごとく断たれ、日々の暮らしも経済活動も停止してしまいました。何かを成し遂げたいという思いを果たせぬまま亡くなった人もいたでしょう。残された者は、被災者の応援を続け、今こそ日本人の「和」の心をもって困難に立ち向かっていく時だと思います。
──震災をふまえ、私たちはどのようなことを心がけていくべきでしょうか?
僕自身も仙台で講演中に被災しましたが、災害時は、自分の身は自分で守るというのが鉄則です。自分が大丈夫となったら、周囲の人たちと支え合い、身近な役割を一つひとつ果たしていくことです。被災者以外の人たちには、ぜひ具体的なアクションを起こしていただきたい。善意はあるのに何もできないでいる人は結構いると思うんです。電車の席をお年寄りに譲りたいのに機を逃してしまったり、街頭募金に協力したいのについ素通りしてしまったり……。きれいごとだろう、かっこつけだろう、ではなく、まずは行動してほしいと思います。
僕は、震災を通じ、人間いつ何が起こるかわからない、という覚悟が座ったと同時に、やりたいことを先延ばしせずに生きていこう、と思うようになりました。若い頃は、「50歳を過ぎたらのんびり暮らせるかな」などと考えていましたが、とんでもない。還暦を過ぎてもデコボコ道は続いています。でも、つまずきながらも歩みを止めず、前に進み続けることが大切なんだと思います。被災地のみなさんと運命共同体だという意識を持ち続けるとともに、公の立場にいる者として何ができるかを常に考え、活動していくつもりです。
【プロフィール】
生島 ヒロシ Ikushima Hiroshi
著書『生島家のペット介護日記 神様からの贈り物』(エム・ウェーブ刊)では、さくらちゃんとのエピソードの他、ネコエイズに感染した愛猫「ミュータロー」と「エステラ」との日々を記録。ペット介護の現実や飼い主の心得を伝えている。
【撮影協力】
adito(アヂト)
(東京都世田谷区駒沢5-16-1)
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